戦争の事
- yumikacang
- 2023年8月17日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年11月7日
私は、自分の両親から実体験としての戦争の話を聞いた事がありません。
教科書やテレビ、映画からの情報がほとんどです。
日本が他国にした事も、された事も、進んで学ばなければ
知り得ない事が多いのが現状です。
1つだけ。
父方の祖父母は私が生まれる前に他界してましたが、
母方の祖母が元気でいました。(祖母は100歳まで庭仕事してました)
母の実家は茨城県の結城市で”お屋敷”と呼ばれる地区です。
駅前からタクシーに乗るときは”お屋敷まで”って言ってました。
西宮の住吉神社の向かいにあった見世蔵でお店もしていました。
小さな頃はお盆になると母と兄弟と一緒の里帰りが楽しみでした。
東京とは違って、田んぼの用水路に浸かりながら”カエル”を捕まえたり。
セミを取ったり、お蚕さんを見にいったりしました。
そして夕方になると、従兄弟たちと浴衣に着替え
小さな可愛い提灯を持ってお墓にお迎えに行ったり、
灯籠流しをしたりしました。
幼い私にはお盆はそんなイベントを楽しむ日でした。
お仏壇はお盆のお供がされ、足のついたナスやキュウリを眺めたものです。
お仏壇に、小さな写真が飾ってあります。
若い兵隊さんの写真でした。
母には年のうんと離れたお兄さんがいて、
その写真は彼の写真でした。
祖母は決まって「タケは優しい子だった」と言います。
(タケは伯父の愛称です^^)
毎年、毎年、祖母は「タケは優しい子だった」と言います。
それが、なんとも言えない。。。
そう、今でもその姿をどう表現したら良いかわかりません。
戦争はしてはいけないと言うことは幼くともわかりました。
ボルネオ(カリマンタン)付近の海で亡くなったそうです。
母の古いアルバムから。
この写真を写した翌年が真珠湾攻撃の年です。
おかっぱの小さい女の子が母です。
母は、戦争の事もお兄さんの事もほとんど記憶に無いそうです。
とても古い写真です。

時は流れ、私は二人の男の子を育てました。
ママ友と、子ども達を公園で遊ばせている時に
何がきっかけで、そんな話になったかは覚えていませんが、
「もし戦争になったら・・・?」という話題になり、
「裏山に穴ほって、息子を隠しておくわ!」と、なりました。
裏山なんか無いんですけど。笑。とにかく天井裏でも床下でも
隠しておこうと、若いママたちで話しました。
世界中のママは子どもを戦争に行かせるために産んだのではありませんからね。
その息子も大きくなりまして、二人で旅に出よう!!
となったことがありまして、リクエストを聞いたら
”広島の原爆ドームへ行っておきたい”と言うのです。
宮島から広島へ入り、そこから尾道に行き、神戸に寄り
姫路城へ遠征し最後は大阪で食い倒れて台風と共に東京へ戻る。。
という、なんとも流れに流れた旅をしました。
戦争の事については、何も語ってあげられない母ですが
この取り留めもない旅の中に”原爆ドーム”を入れられて
よかったと思っています。
今日の話はまとまりなく、ダラダラになってしまいました。
それは私の中で戦争に関して確たる思いや知識が
足りないからでしょう。反省。
この辺で終わりにしておきます。
