なぜ、この歳になって写真を撮り始めたかって?
と、考えてみた。
誰かの人生が終わる時、この世にたくさんの思い出を置いて行く。
私の両親はフィルムやアルバムに貼られた写真をたくさん残して逝った。
最近ならSNSに投稿したデータがネットの世界を彷徨い続けるのだろう。
ここ数年で、私は家族のたくさんの写真の整理をしてきた。
母は写真好きで(撮るの)、でも、いわゆる一眼レフなどの優秀なカメラは
持っていなくて、
オリンパスのハーフのコンパクトカメラに36枚撮りのフィルムを入れて、
72枚にしてガンガンに撮ってた。(カメラがデジタルになる前のお話)
庭で私たち兄弟が何か始めると、
お仏壇の引き出しに入れてあるコンパクトカメラを掴んで、
玄関からではなく居間の窓から直で庭に降り立って、
「今の、もう一回やってー!!」と、カメラを向けたものだった。笑
インスタグラマーや、ブロガーに向いていたかもしれない。
そんな母の残した写真の整理をコツコツとしている。
その中には、母が撮した物もあれば家族の誰かがシャッターを切った物もある。
大量のフィルムの中から、昔、私が撮って自分で現像をしたフィルムがでてきた。
朧げな記憶をたどると、この写真は大学生の頃、
2年だけ一人暮らしをしていた時に、
久しぶりに帰省をしたら「すき焼き」でもてなされた。。。を撮った写真だ。
プリントを見た記憶がないので、現像だけして放置しちゃったんだろうな。
世に出す写真には、他人様を「おおー!」と思わせる力が必要だと思う。
でも、写真を撮り続けて行く原動力は、
ああ「この1枚」を撮っていて良かったと思う
プライベートな写真がある事ではないかなあ、と、思う。
写真には、今は亡き両親、無理やり参加させられた不機嫌な妹。
父は私の1人暮らしは反対だった。
母はまだ病気になる前の明るく元気な姿だ。
弟のマンションに入れるためにコンパクトにしなければならず、
買い替え処分をした母のカメラが入っていた大きなお仏壇も写っている。
画像としては写ってないけど・・・感じる余白や記憶は
かけがえのない一枚だ。
フィルムの中から数枚、スキャンしてデータ化してプリントをした。
この写真を撮っておいて良かった。
データ化する知識があって良かった。
状態の悪いフィルムデータをLightroomでキレイにできて良かった。
私(お姉ちゃん)、弟、妹。3人だけの大事な写真となった。
父母は、私を見ている。
そして私も父母をみている。

私亡きあと、私が撮り散らかした写真は息子達に処分されちゃうかな?
「この一枚のためにお母さんは、写真を撮っていたんだなあ」と、
思われる様な写真が君たちに残せるだろうか。
一枚だけでいい。
おまけ。
この夏、住む人の居なくなった実家は取り壊し建て替えとなった。
取り壊しの直前、おじさん&おばさんになった私達は、
行事のたびに母に立たされ写真を撮った玄関で、
まるで母が撮ってくれたような記念写真をとりました。
お父さん、お母さん、私達を良い子に育ててくれて、ありがとう^ ^

写真は、弟のお嫁さんが撮ってくれました。
