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メメント・モリ (死を想え)

執筆者の写真: yumikacangyumikacang

昨日は投票を済ませた後

恵比寿にある「東京都写真美術館」へ。


写真展「メメント・モリ」(ラテン語で”死を想え”の意味)

ネット予約をしていたので行ってきたが

あんな事件のあった後の、このタイトルの写真展

一瞬行くのを躊躇してしまった。


でも、展示自体はすでに今までに写真展や

写真集で知っている作品ばかりなので

気持ちが落ちてしまう様な事も無く、ほっとした。

全部券を予約していたので「前衛写真」も「「岩合光昭さん」の

動物写真も、冷房の効いている館内でゆっくり観てきた。




さて、私は写真を読むのが苦手です。

これは、遠い昔まだ学生だった頃の授業で感じたことで

この話は長くなるので、またの機会に。


ただ、最近残念だなあーと思ったのは

例えば他人を傷つけたり、犯罪性のある写真ではなく

普通に学ぶ場で発表した写真だったり、

きちんとした作品として発表している写真に対して

あれこれ勝手に思うのは個人の自由で構わないけど


学んでいる教室内での

写真集に対して「あんなクソみたいな写真」

写真に対して「こんな写真いらない」

の発言は、写真を読めない読まない私でも

がっかりな出来事。


な〜んてことを、素晴らしいゼラチンシルバープリントみながら

つらつらと、考える1日だった。


最近考え事ばかり。

考えてばかりいてもしょうがないのはわかっているんだけど。。


一週間頑張れ私・・・。


追記:「写真を読む事が苦手になった話」


これは、写真限定の話ではなくて、作品を評価&批評する事全般についてなのだが。

遠い昔、学生だった頃、とある授業が行われた。


それは、ある課題が出て全員が提出を終えた所で

先生が「二人1組となってお互いの作品に

点数を付けてもらう。持ち点は5点!簡単な寸評も付けて。」


そうして、ペアの名前発表された。

クラスは騒つく。


新学期からは幾分時間が経っていて

クラスの様子も分かり仲良い友人もできた頃だった。

私のペア相手の彼女は、クラスにヒエラルキーが存在するなら

頂点に立つであろう人だった。


父親が港区界隈に大きな事務所を持ち大勢のデザイナーを抱え

華やかに仕事をしてると言うことで、彼女の口から溢れる自身の日常は

すでに彼女自身が有名なアーティストの様であった。


さて、採点が始まる。

まあまあな出来栄えのものは3点前後。

いかにも手を抜いたなと思う作品は2点前後。

いよね!って騒ついたものが4点超え。


最初の方の人たちの点付けが基準となっていく。


私といえば、実はこの課題に関しては多少自信があった。

でも、相手に完全にひよっていた。

彼女は、自信に満ち足りた口調で私の作品に寸評を述べ

2.9点とつけた。

私は、いくつかの褒め言葉と共に、彼女に3.1点と付けた。

(全般と比べても、もっと低い点数であろうと思ったのに。。。)

明らかに自分の作品の方が上だと思った。


全員の点付けが終わった所で、数組のペアが前に出された。

私のペアもだ。


先生は真っ直ぐ私の方を見て

「本当に自分の作品がその点数かと思うか?」と聞かれた。

私は、黙っていた。

「4.8!!」


先生は私にその日の最高得点を付けた。

残りのペアにも同じ様なことを言っていたが

私は、頭が真っ白になってしまって他の人の話は覚えていない。


作品を評価された喜びは全く感じず

知識や経験がない状態で作品を評価する事はできないのだ。

ソレがないと力関係や忖度で作品を見てしまうのだ

と、思い知らされた。

とても怖かった。

その作品が好きか嫌いかの話では無い

その先には、私は入ってはいけないと思ってしまった。


この授業の作品は高く評価されたけど

成績表に付いた実際の点数はやれやれ。。。な感じだった。


振り返ってみれば、あれは作品を作る授業ではなく

作品を正しく評価する事の授業だったのだなと気づく。


あの授業の事があって以来、私は作品への評価は

好き嫌いの先に行けないでいる。


時が流れ、最近自分の作品を評価される機会が多々ある。

ふっと、あの時の事を思い出す瞬間がある。

良くも悪くも、ちゃんと作品を見てもらいたいと。







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